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大空に咲いた新しい太陽

人様の大阪レポを読み漁り、笑い、ニヤニヤし、想像で萌え(オイ)、挙句の果てに感涙してしまってるひそかです。(←この人そろそろ危ないと思う・爆)
ディアマスターで遊びすぎとかなんなんですか!?
ビリーとかちょっと!!!!(笑)
マジで見たいです!!
まだ今ツアー神奈川しか行ってないからね…
早く愛知の日にならんかなぁ。





以下、グタグタと私的な意見を語ってます。
上記の内容とは全く関係ありません。




さて、学校の図書館で見つけて気になってた「学級崩壊」の実態について書いてある本を借りてきました。

初めにこれ見てて、今の教師は体がいくつあっても足りないほど大変だと思いました。
先生の言うことは絶対で、授業は大人しく座って聞くもの、という前提が崩れ去った学級。
授業中、思い思いのことをする子供に授業が成り立たない。

ある意味、昔は教師は学級の専制君主だった気がします。
学校は勉強するもの、という「当たり前」のことを誰もが信じ、誰もがそれを「当たり前」だと思う。そして学校で子供を教える教師は偉い存在であり、従うべき存在であるという神話。
その神話が崩れ去り、右往左往し、休職に追い込まれた教師の話が載ってました。
たかが21の私が「昔」という言い方をするのはおかしいかもしれないけれど、少なくともそこには「私が知らない、経験したことのない」、実際に崩壊した学級が載っていました。

でも読み進めるうちに「私が知らない、経験したことのない」という言葉は不適切だと感じました。
教師の言い分と子供の言い分。
教師の言い分は、ただただ、同情するしかありませんでした。
崩壊した学級の存在を知っていながら、手を差し伸べない他の教師たち。
もう神話は通用しないのに未だに教師は学級の専制君主であるから、他学級が手出しをするべきではない、という変な概念に縛られ見て見ぬふりをする。

ただ子供の言い分を読んだ時、「私が知らない」という言葉は不適切、いや、語弊があると思いました。
子供の言い分、初めは「全体的に思考が幼いな」と思っていました。
ただ、そのうちの2つに、私は目を瞠り、また共感できたものがあったんです。
それは…

①、「塾に行けば勉強はわかるし、学校に行く意味がわからない」というもの。

②、「先生はゲームの世界はリアルじゃない、って言うけれど、先生の方がリアルじゃないよ。声高に学級目標とか掲げて『みんなで○○しよう』だとかやたらみんなで、って言う。それに生徒に気にいられるように必死だし」

この2つ。
それは私自身が中学校の時に思ってたことだからです。
①に関しては本当にそうだと思ってました。
特に中学の時は不登校になれるものならなりたかった子なので、私にとっては学校は出席日を稼ぐためだけに行ってたようなものです。
学力に関しては塾のおかげで志望の高校には行ける力はあったので、問題は内申。休みが多いと公立高校の受験には不利になります。
だから「塾で勉強をし、学校は内申を稼ぐためだけのもの」という考え方をしてました。

②に関しては小学校の後半くらいから思ってましたね。
「みんなで~しよう」というものにどこか嘘が見え隠れしてるような気がしてました。
先生が「みんなで~しよう」と言ったら、それがどこかおかしいと思っててもする雰囲気っていうのかな。
また、先生が生徒に気にいられる様に接してるのも辺に敏感に感じてました。

そして中3のころに一番「リアルじゃない」先生が担任になったんです。
ただ、彼は生徒に大変人気があり、クラスの大半は彼が好きでした。
むしろ「嫌い」だったのは私ぐらいじゃないかと(苦笑)
それくらい「彼」には人を惹きつける求心力はあったと思います。

だけど、今の子供たちの言葉を借りるなら彼は正に「リアルじゃなかった」んです。
みんなで何かするのが大好きで、やたら「お前たちのことが大事」という。一人一人にちゃんと目を配る。まるで金八先生のような人でした。
ただ、私は変に人を見る所があったので、初めは好きだったのに、少しずつ少しづつ「彼」の中の「嘘」に気づいていきました。
彼には生徒に体当たりで接することは一度もなかったと思います。
「いい先生を演じてるだけなんだ」、「いい先生を演じて他のクラスの生徒から羨ましがられる学級を作りたいんだ」、「金八先生のような自分に酔いたいんだ」って、彼のすることなすことに「欺瞞だな」って思ってました。
自分で言うのもなんですが、大変嫌な子です。
だから私は、大半の子は嫌ってたけど、生徒に真剣に体当たりで接する「リアル」な隣のクラスの先生の方が好きでした。

卒業式の日、「彼」と会う最後の日、クラス全員泣いてました。
私以外はね。
それくらい「彼」は「いい先生」だったと思います。
彼がクラスに言った最後の言葉。
「俺は何年たっても君らの先生だから、呼ばれたらいつでも行くからね。だからいつでも呼んで、また、学校に遊びにおいで。」
その瞬間、男の子まで大号泣ですよ。
だけど一名、「嘘っぽいなぁ」と泣きもしない子が一人。
えー、まさしく私です。
最後まで嫌な子です。「彼」にとってもね。

余談ですが、「呼ばれたはいつでも行く」と言った割りに、4回も同窓会したけど「彼」は誘っても来てくれなかったそうです;;
やっぱ嘘じゃん。



ちょっと話は反れましたが、崩壊を起こしたクラスの子供と同じことを思ったいたのに何故、私たちの世代は崩壊が起こらなかったのか。
それは踏み越えるか踏み終えないかの差だと思います。
どこか「嘘っぱち」だと思ってても、我慢してその中に組み込まれたままにしているか、自分が「嫌」「気にいらない」だからと好き勝手やるか。

結局は家庭のしつけに辿りつくんじゃないかなぁ、と思いました。
多少は教師の責任もあるのだろうけど、家庭で甘やかされるから学校という制度に順応できない。。
学校に上がる前にしておくべき「しつけ」をされてない。
なのに一度崩壊が起こると全て教師のせいにされる矛盾と、しつけをすべき親自身も学校という制度の下に育った矛盾。

なんかいろいろとグダグダと21年しか生きてない小娘が語ってしまいましたが、「学級崩壊」って難しい問題ですね。
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